三島由紀夫の書いたものを
読んでみたくなって本屋に行った。
長そうなものは多分途中で飽きちゃうから、
薄めの本で、なんとなく気になった
「葉隠入門」を手に取った。
読んでみると、まぁ面白い!
2020年から2023年辺りまでの
自分の中のボヤボヤしたものの意味、
「言葉」が当て嵌まる。
あゝ…これだったのだなぁ。
深く自分へ刺さった部分
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思想は覚悟である。
覚悟は長年にわたって日々確かめられなければならない。
常朝は大思想と小思想を分けているように思われる。
つまり大思想は平生から準備されて、行動の決断の瞬間にあたっては、おのずから軽々と成就されなければならない。
小思想はその時その時の小事に関する思想である。
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"小説家というものはどんなに小さいものにも理論を持っていなければならない。"
小説家にかぎらず、われわれは生き、生を享楽する側面では小さな事柄にも常に理論を持ち、判断を働かせ、決断をくだしていかなければならない。
もしそれをゆるがせにすれば、生活の体系は崩れ、大思想さえ侵されてしまうことがある。
イギリス人はお茶を飲むときに、
「ミルクファースト」か「ティーファースト」か聞いてまわる。
一つの茶わんの中に、イギリス人の生活の理念が確固としてあるのである。
あるイギリス人にとっては、
自分は紅茶茶わんに先にミルクを入れて、あとからお茶を入れるべきであるにも関わらず
もし人が先に紅茶を入れて、あとからミルクを入れれば、自分のもっとも重大な思想を侵される第一歩と考えるにちがいない。
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"理"という意味を私は未だ理解ができていないが、なんとなく見えてきたような感覚もある。
会社組織の経営理念、
家族・個人の生活理念、
日々の生活の中にも、
各個人の理念というものがある。
理念が無い…というのか、
分からないという人も多いのかもしれない。
イギリス人のミルクorティーファーストの話を見て、「相手の理念を大切にする」ことは余裕がない時の自分に対して、思い出せるといいな…。
ただ、理念が無い人に対し
理念を持たせる働きかけも今の日本では大切な役割のひとつかなと考える。。